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スレッド一覧

  1. ぽろりっ(0)
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飯沼貞雄が勤務した場所が、、

 投稿者:桂小五郎メール  投稿日:2011年12月 1日(木)15時54分55秒
返信・引用
  貞雄が、逓信省技術者としての初赴任地が、この赤間ヶ関です。
当時の面影を残す建物として、テレビ番組で紹介されています。

「激動の時代を生き抜き、今も圧倒的な存在感を放つ百年建築の佇まいとして、わが町の建 物物語の一つ」

歴史ある港町、山口県下関市の旧下関電信局電話課庁舎。1924年に誕生したこの建物の直線と曲線が生むモダンで自由なデザインは、全国の郵便局や電信局を手がけ、戦前の建築界をリードした逓信省営繕課の設計。

http://www.bs4.jp/building_story/onair/13.html

是非、現地(下関)に行ってご覧下さい。

現在は、下関が産んだ大女優:田中絹代記念館になっています。
 
 

長府功山寺 万骨塔に新たな霊石が、、、

 投稿者:桂小五郎メール  投稿日:2011年10月22日(土)19時06分11秒
返信・引用
  1年前から準備してきた、 会津藩の白虎隊士、山川健次郎の霊石が10月20日長府功山寺万骨塔に安置されました。

幕末から明治にかけて活躍した全国の先人を慰霊する下関市長府功山寺の万骨塔(s12年、尊攘堂(現長府博物館)と
ともに桂弥一により創設)に、東京帝国大学(現東京大学)の総長などを務めた、山川健次郎の霊石が新たに加わりました。

除幕式のあと恒例の万骨塔慰霊蔡と平和祈念祭があり下関市関係者、遺族会の方々ら約90人を前に、
長府博物館友の会会長の金田満男さんの 挨拶(山川健次郎の霊石を決定するまでの経緯を含めた話)がありました。

山川健次郎先生のひ孫で東京大学教授の木下健 さんは、この金田会長の話を胸に迫る万感の思いで聞かれた後、
「山川は乃木さんと奥平さんを尊敬していた。この地に安置できて感謝している」と お礼を述べられました。

次に、山川健次郎と従兄弟同士の飯沼貞吉のお孫さんで白虎隊の会事務局長の飯沼一元さんは、
「戊辰戦争で敗れた会津には長州に対する怨念が残っている不幸な状態だが、 会津が生んだ逸材を安置してもらいありがたい」、と挨拶。

白虎隊の会下関支部の吉井克也支部長は 「この万骨塔が会津と長州の友好の発信基地になれば」と話されました。

尚、すでに会津白虎隊の霊石も以前より万骨塔に安置されており、この長州下関の地で山川健次郎は白虎隊の隊士や従兄弟の飯沼貞吉と、
再会した事になります。

山口新聞 H23.10.21
長州ゆかりの白虎隊士 万骨塔に山川健次郎の霊石-下関
http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2011/1021/6p.html
新たに加わった山川健次郎の霊石の前で記念撮影に応じる(左から)木下健さん、金田満男会長、飯沼一元事務局長
 

会津青少年育成のための義援金

 投稿者:飯沼 一元  投稿日:2011年10月22日(土)10時18分57秒
返信・引用
  9月22日の夕方、白虎隊自刃の地説明版除幕式のあとで、
室井市長を訪問し、白虎隊の会から義援金10万円をお渡ししました。
この義援金は青少年育成のために役立てていただくように
お願いいたしました。会津若松市では、義捐金を受け取る際に、
いくつかの用途枠を設定していますが、白虎隊の会としては、
若手人材の育成の一助にしたいとの思いをお伝えしました。
 白虎隊の会としては、5月に、福島原発で会津若松市に
避難されてきた、楢葉町と大熊町役場に、各10万円の
義援金をお渡ししましたが、今回で義援金の累計は30万円
となりました。
ご協力いただいた、白虎隊の会の皆様には、心からお礼
申し上げます。
白虎隊の会事務局長 飯沼 一元

http://byakko1868.web.fc2.com/

 

飯沼貞吉さんの家の跡に説明版が付いた

 投稿者:桂小五郎  投稿日:2011年10月 3日(月)21時49分46秒
返信・引用
  これは、六日町のねぼけ茶屋前に佐藤一男さんが作られた説明板です。

http://blogs.yahoo.co.jp/aidukon1819/474169.html

私が、インターネットで遊んでいたら偶然にも見つけました。
 (ある方のブログに書かれていました。)

     京都支部長 中村
 

143年ぶりに子孫同志がご対面というサプライズ

 投稿者:桂小五郎メール  投稿日:2011年10月 2日(日)12時12分58秒
返信・引用
  一元さんは「養育を裏付ける一級の証拠」と感無量

9.18京都府庁での飯沼さんの講演会は大盛況。定員オーバーで府庁担当者も
申込みを断るのに苦労されていました。私の知り合いも数人は入れなかった。
この講演会に、東京から楢崎頼三の曾孫(松葉玲子さん)が駆けつけ講演後、
143年ぶりに子孫同志がご対面というサプライズがありました。

これまで、飯沼さんと高見フサの子孫(白虎隊の会下関支部長の吉井克也さん)との
ご対面は、数年前に済みましたが、楢崎頼三の子孫がマスコミの前で飯沼さんに会う
のは今回が初めて。

次は、飯沼さん、楢崎頼三の曾孫(松葉玲子さん)と高見フサの子孫(吉井克也さん)の
3人が顔合わせする機会を是非、作りたいと思います。


京都新聞
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110918000068

河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110919t65016.htm

この143年ぶりに子孫同志がご対面というサプライズ記事は、この他に
朝日新聞、読売新聞、産経新聞、日経新聞、山口新聞、東奥日報、などに掲載されました。

    京都支部長 中村
 

白虎隊飯盛山自刃の地に説明版除幕

 投稿者:飯沼 一元  投稿日:2011年 9月25日(日)18時04分54秒
返信・引用
  白虎隊飯盛山自刃の地に説明版除幕。(9月22日)

東日本大震災で、延期していた白虎隊自刃の地説明版
の設置を実施し、このたびその除幕式を白虎隊の会関係者他
四十名の参加を得て行いました。
この日は、前日の台風16号の影響で、郡山から若松までの
鉄道およびバスが運休となり、関西、東京方面から駆けつけた
会員は、タクシーを使ってなんとか会津若松にたどり着きました。
また、12時過ぎからは土砂降りの大雨となり、式典の開催が
危ぶまれましたが、幸い、開始の2時直前になって、小降り
となり、無事挙行することができました。
1年以上に亘って、準備を進めてきただけに、感慨もひとしおです。

下記の方々をご来賓に迎え、室井市長他にご挨拶をいただきました。
室井照平 様 (会津若松市長)
目黒章三郎 様 (会津若松市議会議長)
渡部啓二 様 (会津若松市観光課長)
芳賀公平 様 (財団法人会津弔霊義会 理事長:代理 吉田愈 常務理事)
大竹健治 様 (八幡総持墓地管理委員会 委員長)
飯盛康子 様 (飯盛山商店会 会長:代理 飯盛正徳 事務局長)

http://byakko1868.web.fc2.com/

 

(無題)

 投稿者:ニチロメール  投稿日:2011年 9月 6日(火)17時39分15秒
返信・引用
  はじめて書き込みします。あの当時の下士官以下の階級を知りたいのですが
上等兵は上等卒だったと思います。
 

お詫び

 投稿者:あんじ  投稿日:2011年 8月 7日(日)11時50分51秒
返信・引用
  飯沼一之氏のお名前を間違え、大変失礼をいたしました。
お詫びを申し上げます。

写真①式典でご挨拶の、最後の白河藩主、阿部家の第22代当主 阿部正靖様
写真②感謝状を授与される堀田節夫様
写真③資料館の前でテープカット 
 

Re: ご報告

 投稿者:飯沼 一元  投稿日:2011年 8月 7日(日)03時58分24秒
返信・引用
  > No.183[元記事へ]

あんじさんへのお返事です。

大変な状況のところ、準備万端整えられ、ご招待いただき、誠に
有難うございました。

飯沼一宇とあるのは飯沼一之の間違いですので、ここに訂正させていただきます。
飯沼一之氏は松平家令となった飯沼関弥(貞吉の9歳下の実弟)の孫で、このたび
所蔵の「山高水長(さんこうすいちょう)」とタイトルされた全5巻400ぺージ
の手紙集を見聞館に寄贈されました。

この手紙集は殆どが未解読ですが、大変、貴重な資料です。

なお、飯沼一宇は貞吉の孫で飯沼一元の実兄で、現在、被災地石巻日赤の病院長をしています。

写真1 白河見聞館入り口
写真2 同テープカット  飯沼の右隣が堀田節夫氏
写真3 中央は山本英市氏(白虎隊の会会長、西郷頼母の子孫)、右端は飯沼一之氏

> 大変遅くなりましたが、過日ご案内させていただいた、≪「白河見聞館・「戊辰戦争白河口の戦い展」
> 開館記念講演会および交流会≫の様子をご報告させていただきます。
>
> 7月30日、新白河駅に降り立った飯沼一宇様、飯沼一元様、山本英市様、堀田節夫様を
> はじめとする遠方からのお客様をまずご案内したのは、東日本大震災で大規模な石垣の崩落があった
> 「小峰城」でした。
> 予想以上の被害に皆様驚かれた様子でしたが、時間がかかっても必ず復旧できる国の史跡ですので、
> どうぞご安心いただきたいと存じます。
>
> その後やはり震災で被害を受けて延期を余儀なくされ、
> ようやく7月24日に開館なったばかりの白河図書館に移動。
> その真新しい図書館において「白河見聞館」開館の式典が行われ、資料の寄贈者や
> ご尽力いただいた方々に感謝状が贈られました。
> そして戊辰戦争の資料館である「白河見聞館」のある、テナント複合施設『楽蔵(らくら)』で
> テープカットが行われた後、『戊辰戦争白河口の戦い展』を見ていただきました。
> サプライズは、佐藤一男さんが会津から携えてこられた照姫の厨子で、
> 8月いっぱい展示させていただけることになっております。
>
> 午後は1時半から黄檗宗・龍興寺(通称、山の寺)において講演会。
> 第一部は飯沼一元さんによる「白虎隊と飯沼貞吉」と題してのご講演です。
> 時代背景や会津藩の置かれた状況、鳥羽伏見の戦いから斗南までの変遷、とくに戊辰戦争の中の
> 「白河口の戦い」については丁寧に話していただきました。
>
> 飯盛山の悲劇と流布された落城説に対しての真実の解説、自刃後の飯沼貞吉の足取り・・・
> 長州美祢において養育された言い伝えと、貞吉2年間の空白の一致。
> 自刃後の蘇生にまつわるつらい思いや、美祢での生活を家族にさえも言えなかった
> 飯沼貞吉の心の内を思うと、何度聞いても胸が詰まる思いがいたしました。
>
> 飯沼さんは「白虎隊の会」と「海の会」についても説明され、講演会に参加して下さった
> 72名の方に会誌創刊号を配布されました。
>
> 第2部は西郷頼母研究会会長で、「白虎隊の会」顧問でいらっしゃる堀田節夫様のご講演でした。
> 演題は 「西郷頼母と戊辰白河口戦争」。
> 堀田様は白河口の戦いにおいて激戦地となった「稲荷山」に、
> 【うらやまし 角をかくしつ 又のへつ 心のままに 身をもかくしつ】という、
> 西郷頼母の歌碑を建立されています。
> 講演では、残された和歌などに隠された、西郷頼母の心情などを見事に読み解かれていて、
> その研究の姿勢と情熱は素晴らしいものだと尊敬いたしました。
>
> さて5時からは皆さん待ちに待った懇親会。
> 地元の主婦や主夫が心を込めて作った、手作りの料理によるものです。
>
> 今回のイベントは、施設の損壊や関係者が被災されるなどして、諸事滞り
> ようやく開館できたことから、至らない点が多く失礼もありましたが、
> この懇親会で、皆さんがお酒を酌み交わし、和やかに交流されている光景を拝見し、
> 安堵の思いをいたしました。
>
> 飯沼一宇様、飯沼一元様、山本英市様、堀田節夫様、佐藤一男様、大変お疲れさまでした。
> 心から感謝申し上げます。
>
> 今後とも「白虎隊の会」と白河市のご縁がいついつまでも続きますように・・・
> 皆様どうぞご支援をよろしくお願いいたします。
>
> 写真①式典でご挨拶の、最後の白河藩主、阿部家の第22代当主 阿部正靖様
> 写真②感謝状を授与される堀田節夫様
> 写真③テープカット
>

http://byakko1868.web.fc2.com/

 

すみません

 投稿者:あんじ  投稿日:2011年 8月 7日(日)01時04分14秒
返信・引用
  画像の添付ができませんでした。  

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