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Re: 会津藩士

 投稿者:山田  投稿日:2016年10月 3日(月)11時10分38秒
返信・引用
  > No.234[元記事へ]

はじめまして、山田と申します。初めて書き込ませていただきます。
もう必要な情報は得られていらっしゃるかもしれませんが、
ネットで斗南藩の名簿(一般の方の作成のもの)があり、
そちらに五十嵐忠三郎さんのお名前がありました。

明治14年旧斗南藩人名録(戸主)
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/frame7/tonami-meibo.htm
五十嵐忠三郎 下北郡田名部村


私自身母方が会津藩の下級武士の家で、戊辰戦争では白虎隊だったと言い伝えがあり(菩提寺の過去帳にも記載あり、ただしこちらの名簿には名前なし)、こちらを拝見させていただいておりました。
下級武士なので情報が得にくい状況で、
会津藩士さんのご先祖様がネットで確認できることが正直うらやましいです。
ご参考まで。
 
 

会津藩士

 投稿者:五十嵐政次  投稿日:2016年 8月 6日(土)22時43分54秒
返信・引用
  忠三郎の妻、こう(嘉永三年~大正九年没)の父は栗原類右衛門(江戸藩邸中屋敷、照姫付)で私共の戸籍にもその名が
付け加えて有りますが、益々、二人の兄弟が会津藩に仕えたものだと疑わざるを得ないように思われます。
また、親戚のものから、御殿女中だったものがいたような事を親から言われたと話すものもいて、もしかするとその妻、
こうが、その女中だとすれば謎が解けるのかも知れません。

私の手元には大正時代の頃の戸籍しかありません。その為に、斗南藩が有った、むつ市役所に戸籍が残っているのか
照合もしている最中です。

一本一本、紐が解けるようにお陰様で先祖の事が分り始めています。これも偏に白虎隊の会の皆様、並びに会津藩を
時代検証されている方々の賜物で、私がその事で偶々、知り得ただけのものです。また、全ての事が判明されましたら、
会津を訪ね、ご先祖様に線香を手向けたいとも考えています。最後に子孫を代表しまして、心より深く御礼申し上げます。
有り難うございました。
 

会津藩士

 投稿者:五十嵐政次  投稿日:2016年 8月 2日(火)21時40分21秒
返信・引用
  はじめての投稿です。私事で申し訳ございませんが、先日の事です、五十嵐忠三郎(曾祖父)とインターネットで
検索してみると会津藩士で有った事が分りました。
朱雀寄合四番隊に属し戊辰戦争では城を守る為に戦い、敗戦の後に東京にて謹慎、その後、斗南へと流刑されたようです。

そして、まさかと思い曾祖父の弟の名(五十嵐直五郎)も検索してみると白虎寄合二番隊で有る事も分りました。
親からは、ご先祖さまが「武士」であった事は薄々知らされていましたが、まさか会津藩士であった事などこんな歳に
なるまで分りませんでした。
これからは、我々には会津藩士の血が流れていることを自覚して、子孫代々言い伝えていきたいと思っています。
 

白虎隊隊士帯刀の御刀について

 投稿者:渡辺一智  投稿日:2015年12月 9日(水)13時47分14秒
返信・引用
  初めて投稿させていただきます。

当方で、白虎隊隊士が帯刀されていたという云われのある御刀を購入しました。
日刀保の鑑定書「会津道辰」の保存刀剣と鑑定されています。この御刀の云われにつきましては、購入元の川上さまより下記の通りきいております。

『わたくしども、特に、父80歳(研ぎ師)が、御刀の商いや日刀保のお付き合いを通じて「小川様」という福岡市の資産家の方とお付き合いがございました。この小川様が、この刀が曰くのある御刀であることを、関西に在住の前所有者で、会津藩士のご子孫からお聞きなり、有償にてお買いになったと聞いております。

そして、お買いになってすぐ、御刀が無銘であることから、本当に曰くのとおり、会津白虎隊の生家に伝わったものであるか、会津の地元の刀であれば、という思いもあり、日刀保に鑑定に出されました。

そのときは、会津のどの刀匠とも見当は付かず、審査に出されたということです。幸いにも言い伝えの通り、会津のお刀と鑑定され、曰く・言い伝えが事実と言えるだろうと思えることから大切に所持されてきました。
その後、10年以上の年月が経ち、2年前に小川様がご他界され、この度、わたくしどもで、30数本の資産整理をさせていただくことになりました。

「生き残った隊の隊士の生家に伝わった御刀であるとの言い伝えがあること。」「それが、関西の生家の分家と思われる方へ資産分割されたこと。」「加えて、時が過ぎ、福岡市の小川様が有償でお譲り頂かれたこと。」「言い伝えにのっとり、会津の地元の刀であれば、言い伝えも事実だろうと鑑定に出され、会津道辰と鑑定されたこと。」を聞いていたお刀です。』


このことから、帯刀していた白虎隊隊士の氏名もしくは御子孫の方を探しております。
上記のことが確認できれば、福島県にとっても貴重な御刀になると思いまして投稿させていただきました。

もし、心当たりのある方を御存じでしたらご連絡願います。
 

白虎隊士生家跡記念碑

 投稿者:飯沼一元  投稿日:2015年10月 5日(月)07時37分52秒
返信・引用
  2015年9月22日
白虎隊生家跡記念碑設置を行いました。
白虎隊が飯盛山で自刃したのは今から147年前で、まもなく150年を迎えます。
私は、その中で唯一生き残った白虎隊士飯沼貞吉の孫であります。
白虎隊は出陣してから自刃するまでは、たった一日の出来事でした。
彼らは、どんな気持ちで出陣し、なぜ自刃したのか?
これを明らかにすることは、白虎隊の血筋を継ぐ私の使命であると考えています。

白虎隊の自刃については、あまりにも有名で、毎年飯盛山で墓前祭も開催されています。
しかし、白虎隊がなぜ自刃したかについては、「お城が燃えている。殿のあとを追おう」
という「落城誤認説」が間違った通説となっております。
実際には、「簡単に落城するはずはないから城に戻ろう」という意見、
敵陣に突入して玉砕しようという意見」など激論が戦わされ、
最後は「武士の本分を明らかにする」として自刃したのです。
2011年に、飯盛山白虎隊自刃の地に自刃理由の説明版を設置いたしました。

昨年は、白虎隊はどこでどのような気持ちで戦ったかを明らかにするために
強清水に白虎隊戦闘の地の説明板を設置致しました。
今回は、出陣の経緯を明らかにするため、
白虎隊生家跡整備事業を福島県の地域創生事業の一旦として実施することになりました。
その内容は、生家跡に記念碑を建てること、出陣の様子を演劇として上演すること、
そして、白虎隊が辿った道をバスツアーとして体験することの3本立てで構成されます。

隊長代行を務めた篠田儀三郎生家跡は、会津若松市米代1-4-30、
現秋山建設の敷地であることが判明しました。
そこで、このたび地元の皆さまをはじめ多くの関係者のご支援を得て、
この地に記念碑を設置すると共に劇団ぴひゃららによる出陣劇を奉納していただくこととしました。
なお、この活動は来年も継続して実施したいと考えていますので、
皆さまのご支援いただきたくよろしくお願いいたします。

 

初めまして

 投稿者:東行  投稿日:2014年 7月15日(火)05時38分20秒
返信・引用
  山川健次郎先生を調べていてここにたどり着いたものです。現在横浜市在住ですが、本籍は山口県で下関市にも住んでいたことがあり、下記記事を懐かしく拝見しました。また飯沼貞吉氏とその後の長州との繋がりやそのお孫さんが初めてお会いになった等の記事も始めて知りました。幕末の歴史に関心を持つものですがよろしくお願いします。  

無料電子書籍紹介

 投稿者:小山啓天  投稿日:2014年 7月 1日(火)21時41分15秒
返信・引用
  土方歳三は松の陰に懐かしい顔を見た。
微笑んで近づくとき殺気を感じて、はっと我に返った。
「そんな筈はない」歳三は抜き打ちの姿勢で身構えた。
無料電子書籍「幕末・桜田三兄弟」のご紹介です。
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下関支部で出版記念講演会

 投稿者:貞吉  投稿日:2013年11月18日(月)15時47分27秒
返信・引用
  下関支部で出版記念講演会           2013年10月19日
下関支部で貞吉本の出版記念講演会が盛大に開催されました。
吉井克也支部長以下下関支部の皆様が、周到な準備をして
くださり、講演会ならびに祝賀会が開催されました。
山口新聞や山口テレビが取材に当りました。
ご来賓は下関市長、市議会議長、教育長など、下関を代表する
お歴々に加え、88歳となる金田満男長府博物館友の会会長にも
ご参加いただきました。

祝賀会では下関剣舞会の皆様が白虎隊剣舞を披露されました。
また、漫画「あづさ弓の如く」の著者苑場さんも登場され
楽しいひと時でした。
関係者にこの場をお借りして、お礼申し上げます。
 

会津藩公行列に子孫隊として参加。

 投稿者:貞吉  投稿日:2013年11月 9日(土)17時39分54秒
返信・引用
  会津藩公行列に子孫隊として参加。2013年9月23日
子孫隊の参加は5年ぶり。33名が参加しましたが、
6kmを6時間かけて
歩くのは正直言ってしんどい行事でした。
わらじは途中でボロボロになりましたが、
沿道の子供たちから、
「超かっこいい」の連呼を受けて、嬉しかったです。

 

会津大窪山墓地案内図を善龍寺に設置 

 投稿者:貞吉  投稿日:2013年11月 9日(土)17時19分38秒
返信・引用
  会津大窪山墓地案内図を善龍寺に設置 2013年9月22日

大窪山墓地案内図設置の企画
会津大窪山墓地には4000体の会津藩士が眠っている。
ただし、国有地の為案内板等の設置、墓地工事等が厳禁されている
ため、一般の人は専門家の案内なしでは現地訪問は殆ど不可能である。
そこで、大窪山墓地下の善龍寺境内に墓地案内図を設置することにしました。
訪問客はタクシーで善龍寺を訪ねれば、大窪山墓地に行くことができる。
なよ竹の碑、西郷頼母の墓、21人の墓、山川家・飯沼家の墓なども訪問できる
除幕式は2013年9月22日14時に開催。白虎隊の会の飯沼事務局長、石田明夫研究担当役員の挨拶に続いて、衆議院議員菅家一郎様、衆議院議員小熊慎司様、善龍寺住職寿上祐光様、なよ竹の会会長吉田幸代様の祝辞をいただき、盛会にて終了した。
参加者は約50名。

大窪山墓地/善龍寺について
善龍寺は寛永20年(1643年)、会津藩祖保科正之の命で、曹洞宗寺として建立。戊辰戦争 により山門を除きすべてが灰燼に帰したが再建。山門は竜宮造りという珍しい様式となっている。大窪山墓地は善龍寺の裏山一帯に位置し、善龍寺から辿ることができる。
 

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