白虎隊の会
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飯沼一元さんへのお返事です。 > 2019年9月23日に福島県喜多方市塩川の東邦銀行塩川支店敷地に白虎隊士 > 飯沼貞吉ゆかりの地の記念碑を設置し序幕しました。 > 江戸時代の塩川は米沢街道の宿場町として栄え、 > この地にあった近江屋は会津藩本陣として使われていました。 > このたび、会津の歴史研究家石田明夫様のご提案と > 東邦銀行様のご協力により白虎隊の会が表記を実現いたしました。 > ここに記念碑を設置した理由は、飯盛山で自刃した白虎隊士飯沼貞吉が > 一命をとりとめた秘密がここに隠されているからです。 > > 以下、そのいきさつをかいつまんでご紹介します。 > 白虎隊士が飯盛山で自刃したのは慶応4年8月23日午前10時頃でした。 > この日、武具役人印出新蔵の妻ハツは、鉄砲を持って飛び出した > 息子八次郎の安否を尋ねて、滝沢方面に向かいましたが、 > 途中で慶山村の農夫渡部佐平に会いました。 > そして、飯盛山に多数の死体があると聞き、飯盛山に向かいました。 > 死体の中に息子はいないかと、一人一人確認する中で、 > 虫の息だった貞吉を発見したのです。 > はつは、貞吉を背負って、急ぎ山を降り、渡部佐平らの協力を得て > 貞吉をこの地に運びました。時刻は夜10時頃と思われます。 > 翌朝、地元の漢方医を呼んで応急処置をしてもらいましたが、 > 喉の傷は深く、夕方には激痛に苦しみました。 > > 長岡藩主牧野忠訓一行が、この日、当地に宿営したのは正に天の恵みでした。 > 同行した軍医は貞吉を診るなり、「傷は気管を破りたれども、動脈を避けたり。 > 年若きたるにより、治療により或いは全癒す」として西洋医術を駆使して治療したのでした。 > 軍医の名は、阿部宗達と吉見雲台、塩川の医者は三本住庵とされます。 > 会津戦争開始直後の混乱期に、このような偶然が重なったとは正に奇跡と言えます。 > > 貞吉が一命をとりとめなければ、白虎隊の真相は闇であり、 > 飯沼家の子孫も存在しなかったわけです。 > 貞吉は自刃に失敗したことを恥じ、終生寡黙を通しましたが、 > 晩年には2つの手記と2つの絵を残しました。 > そこに、白虎隊の自刃理由は、「城が落ちたと早とちりした」のではなく、 > 「武士の本分を明らかにする」ためと明記しました。 > 戊辰戦争で会津藩は朝敵・国賊の汚名を着せられ恭順も許されませんでした。 > この理不尽に対する潔癖の証しとして白虎隊は自刃したのです。 > > 当日は、関係者約30名の参加をえて、下記の方々に序幕とご来賓あいさつを > いただきました。 > > 白虎隊士飯沼貞吉ゆかりの地記念碑除幕 > > 喜多方市教育長 大場 健哉様 > 喜多方市議会議長 齋藤 勘一郎様 > 喜多方市長 遠藤 忠一様 > 白虎隊の会 事務局長 飯沼一元様 > 東邦銀行執行役員会津支店長 安藤利之様 > 東邦銀行塩川支店長 永瀬芳幸 様 > 衆議院議員 復興副大臣 菅家一郎様 > 衆議院議員 小熊慎司 様 > > ご来賓のご挨拶 > 喜多方市長 遠藤 忠一様 > 衆議院議員 復興副大臣 菅家 一郎様 > 衆議院議員 小熊 慎司様 > ここに、記念碑式典を開催できたことに心から感謝する次第です。 > 白虎隊の会事務局長 飯沼一元 > >
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