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会津史談会(会津若松市)のメンバー79人が飯沼貞雄終焉の地(仙台市)
を訪問 2010年7月9日
自刃した白虎隊士の中でただ一人生き残った飯沼貞吉は、明治5年に
逓信省(当時工部省)に入り、以降、下関を皮きりに小倉、山口、神戸、
岡山、鳥取、大坂、奈良、和歌山、熊本、福岡、大分、新潟、島根、
山形、広島、東京の各局に勤務した。明治27年には、日清戦争に従軍し、
釜山、ソウル、平城を回り、帰国後、仙台、札幌に赴任し、根室に出張し
全国縦横断を果たし、最後に仙台に戻って勤務した。
仙台には明治30年~37年の8年間と明治43年~昭和6年までの20年間
合計28年間住んだ。
貞雄の逓信省時代および晩年の生活については、会津では殆ど知られて
いない。これほど多くの会津関係者が、仙台を訪問したのは初めてであり、
この機会を通して理解が深まったことは、大変喜ばしい。
「飯沼貞雄終焉の地」記念碑は1991年に建立したが、20年ぶりに人目
ふれることになり、この機会に立ち寄り易い道路側に移設した。
現地の案内は仙台市在住の飯沼一宇氏(貞雄孫、飯沼一元兄)で、
飯沼家の子孫はこの地で生まれ、この地で育った。
終戦後、貞雄宅地(約600坪)を幼稚園に改造し、貞雄の二男一精は
妻弘子と共に40年に亘って幼児教育に携わった。
貞雄は武家屋敷を解体して、仙台の地に再構築し、庭には、会津の身知らず柿
を植えた。これが5本の大木に育ち、幼稚園児が秋の収穫を楽しんだ。
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