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会津藩塩川本陣近江屋跡に白虎隊士飯沼貞吉の記念碑設置

 投稿者:飯沼一元  投稿日:2019年10月 3日(木)11時47分16秒
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  2019年9月23日に福島県喜多方市塩川の東邦銀行塩川支店敷地に白虎隊士
飯沼貞吉ゆかりの地の記念碑を設置し序幕しました。
江戸時代の塩川は米沢街道の宿場町として栄え、
この地にあった近江屋は会津藩本陣として使われていました。
このたび、会津の歴史研究家石田明夫様のご提案と
東邦銀行様のご協力により白虎隊の会が表記を実現いたしました。
ここに記念碑を設置した理由は、飯盛山で自刃した白虎隊士飯沼貞吉が
一命をとりとめた秘密がここに隠されているからです。

以下、そのいきさつをかいつまんでご紹介します。
白虎隊士が飯盛山で自刃したのは慶応4年8月23日午前10時頃でした。
この日、武具役人印出新蔵の妻ハツは、鉄砲を持って飛び出した
息子八次郎の安否を尋ねて、滝沢方面に向かいましたが、
途中で慶山村の農夫渡部佐平に会いました。
そして、飯盛山に多数の死体があると聞き、飯盛山に向かいました。
死体の中に息子はいないかと、一人一人確認する中で、
虫の息だった貞吉を発見したのです。
はつは、貞吉を背負って、急ぎ山を降り、渡部佐平らの協力を得て
貞吉をこの地に運びました。時刻は夜10時頃と思われます。
翌朝、地元の漢方医を呼んで応急処置をしてもらいましたが、
喉の傷は深く、夕方には激痛に苦しみました。

長岡藩主牧野忠訓一行が、この日、当地に宿営したのは正に天の恵みでした。
同行した軍医は貞吉を診るなり、「傷は気管を破りたれども、動脈を避けたり。
年若きたるにより、治療により或いは全癒す」として西洋医術を駆使して治療したのでした。
軍医の名は、阿部宗達と吉見雲台、塩川の医者は三本住庵とされます。
会津戦争開始直後の混乱期に、このような偶然が重なったとは正に奇跡と言えます。

貞吉が一命をとりとめなければ、白虎隊の真相は闇であり、
飯沼家の子孫も存在しなかったわけです。
貞吉は自刃に失敗したことを恥じ、終生寡黙を通しましたが、
晩年には2つの手記と2つの絵を残しました。
そこに、白虎隊の自刃理由は、「城が落ちたと早とちりした」のではなく、
「武士の本分を明らかにする」ためと明記しました。
戊辰戦争で会津藩は朝敵・国賊の汚名を着せられ恭順も許されませんでした。
この理不尽に対する潔癖の証しとして白虎隊は自刃したのです。

当日は、関係者約30名の参加をえて、下記の方々に序幕とご来賓あいさつを
いただきました。

白虎隊士飯沼貞吉ゆかりの地記念碑除幕

喜多方市教育長  大場 健哉様
喜多方市議会議長 齋藤 勘一郎様
喜多方市長    遠藤 忠一様
白虎隊の会 事務局長 飯沼一元様
東邦銀行執行役員会津支店長 安藤利之様
東邦銀行塩川支店長 永瀬芳幸 様
衆議院議員 復興副大臣 菅家一郎様
衆議院議員 小熊慎司     様

ご来賓のご挨拶
喜多方市長   遠藤 忠一様
衆議院議員 復興副大臣 菅家 一郎様
衆議院議員   小熊 慎司様
ここに、記念碑式典を開催できたことに心から感謝する次第です。
白虎隊の会事務局長 飯沼一元

http://byakkotai.club/

 
 
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