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自刃白虎隊士生家跡記念被

 投稿者:飯沼一元  投稿日:2017年 9月18日(月)15時40分14秒
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  2017年9月16日
自刃白虎隊士生家案内図と生家跡記念碑設置序幕

白虎隊が飯盛山で自刃して、まもなく150年を迎えます。
私は、その中で唯一生き残った白虎隊士飯沼貞吉の孫です。
会津にとって、白虎隊は鶴ヶ城と双璧をなす宝物ではないかと思います。
ところが、白虎隊については、少年たちが「城が落ちた」と誤認して、
自刃したというのが通説になってしまい、本当に残念なことだと思っています。
ネットには、赤穂浪士と白虎隊を比較して、赤穂浪士は本懐を遂げた上、
幕府の命令で切腹したのであっぱれだが、白虎隊は城が落ちたと早とちりして自刃したので、犬死だ。などと書かれています
    しかし、いろいろと調べてみると、白虎隊士は城が落ちたと誤解したのではないことが明らかになりました。
「武士の本分を明らかにする」ために自刃したのでした。
つまり、白虎隊士は「ならぬことはならぬ」という会津魂を守り抜くために自刃したのです。
会津は朝廷に忠誠を尽くしました。それが、いつの間にか朝敵・国賊のレッテルを張られ、敵は錦旗を捏造して会津に攻め込んできたのです。
このような理不尽があってならない。
白虎隊士は「ならぬことはならぬ」の抗議の意思表示として自刃したのです。

白虎隊の会は創立7年になりますが、白虎隊の真実を究明し、白虎隊がなぜ自刃したか、いかに戦ったか、いかに出陣したかについて、記念碑や説明版を設置してきました。
また、白虎隊士の生家跡に記念碑を設置してきました。
    このたび、会津若松観光ビュロー様と共にこの城前一等地に白虎隊士生家案内図を設置することになりました。
本事業に関しては、歴史春秋社様、東海堂アド工芸様にご協力いただくと共に、
福島県の地域創生事業の助成金を得て、会津若松市のご指導の下に実現に至りました。ここに、心より、感謝申し上げます。
   この看板が、白虎隊の理解を深める一助になることを期待しています。

今般、福島県の地域創生事業の支援並びに葵高等学校、竹田総合病院および
若松第2中学のご協力を得て、それぞれ、自刃白虎隊士石山虎之助、安達藤三郎、西川勝太郎の生家跡に記念碑を建てることが出来ました。
石山虎之助は、戸の口原から退却する途中、城に帰ろうとする山内小隊長に対して、「沓掛に赴いて決戦する」と宣言したことが、生残った酒井峰治の手記に記されています。
彼らは、落城と誤認したのではありませんでした。

序幕の後には劇団ぴ~ひゃららによる出陣劇を奉納していただきました。
また、その後は白虎隊が辿った道をバスツアーを実施しました。
これらを通して、白虎隊の真実を理解していただきたく、皆さまのご支援をお願いいたします。

http://www.ricetech.jp/press/press161016.html

 
 
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