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2016年9月22日
第2回『白虎隊士生家跡』除幕式
昨年に引き続き、白虎隊士生家跡に石碑を設置し、序幕しました。
今回は、自刃した白虎隊士津川喜代美と井深茂太郎生家跡に、石碑と説明版を設置し、
除幕式直後には、白虎隊土の召集、出陣に至る経緯を会津の劇団ぴ~ひゃららによる
路上劇として奉納しました。
津川喜代美生家跡は、現在、福島県立若松商業高等学校、
また、井深茂太郎生家跡は、現在、㈱東邦銀行東邦寮となっています。
白虎隊が飯盛山で自刃したのは今から148年前で、まもなく150年を迎えます。
私は、その中で唯一生き残った白虎隊士飯沼貞吉の孫であります。
会津にとって、白虎隊は鶴ヶ城と双璧をなす宝物ではないかと思います。
ただし、白虎隊については、少年たちが「城が落ちた」と誤認して、
自刃したという悲劇物語になってしまったことは、誠に残念なことだと思います。
彼らは、どんな気持ちで出陣し、いかに戦い、なぜ自刃したのか?
これを明らかにすることは、白虎隊の血筋を継ぐ私の使命であると考えています。
飯沼貞吉は白虎隊顛末記という20ページに亘る手記を残しました。
この記録には、飯盛山で自刃する際、「簡単に落城するはずはないから城に戻ろう」
という意見、敵陣に突入して玉砕しようという意見」など激論が交わされ、
最後は「武士の本分を明らかにする」として自刃した明記されています。
つまり、白虎隊士は「ならぬことはならぬ」という会津魂を守り抜くために自刃したのです。
幕末の会津藩は他のどの藩にまして、朝廷に忠誠を尽くしました。
それが、いつの間にか朝敵・国賊のレッテルを張られ、
敵は錦旗を捏造して会津に攻め込んできたのです。
錦旗の捏造は歴史に残る大罪です。
このような理不尽があってならない。
白虎隊士は「ならぬことはならぬ」の抗議の意思表示として自刃したのです。
では、彼らはどんな気持ちで出陣したのか?
白虎隊士津川喜代美は、出陣の10日前に朱雀隊の兄宛に手紙を出しました。
はなむけの歌も書き添えました。
かねてより 親の教えの時はきて 今日の門出ぞ 我はうれしき
16歳にして、立派です。出陣が今か今かと心待ちにしていたことが分かります。
白虎隊士井深茂太郎は飯盛山で「決して城落ちたるに非ず」と落城誤認を否定しました。
除幕式の後は、白虎隊が辿った道のバスツアーを実施しました。
なお、本事業は福島県の地域創生事業の一旦として実施しました。
http://www.ricetech.jp/press/press160923.html
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