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佐藤一男氏より、神戸岩蔵と兄・民治の墓碑について調査された文書をいただきました。
神戸岩蔵と兄の民治について
佐藤一男 2012年4月17日
神戸岩蔵の件では何かと下関市の方々によって大切にされ感謝いたします。白虎隊の会下関支部の皆さんによる墓地清掃と供養際の新聞報道などを関係公民館の講座でお知らせしています。
文政5年68歳で没した神戸三右衛門盛大(もりはる)郡奉行のおかげで喜多方市塩川町に駒形堰が作られてから当地方繫栄の基となっています。飯盛山に近いところに保科正之公のお供寺といわれる菩提寺臨済宗大龍寺墓地があり、神戸家の墓地がありこの恩を忘れることなく毎年墓参が行なわれています。
この墓地に今や大河ドラマこと「八重の桜」で話題になっている新島八重の実家山本家の合葬墓があります。この墓地から徒歩20歩程度のところに神戸家の墓地があり岩蔵と兄の民治の墓があります。
兄の民治盛治は天保9年4月14日に生まれ、明治元年9月17日の城南一ノ堰の戦いで戦死してこの寺に改葬されました。時に180石取、青龍隊三番士中隊半隊頭として31歳で戦死し、真忠院義功宗戦居士と刻されています。
一石に二人の名が刻されていますが民治盛治と綱衛盛恭とあります。この綱衛が岩蔵で二人の間に女の佐多がおり佐藤駒之進に嫁いでいます。民治の妻は河原田順吾信寿の末娘のえつです。
駒之進の姉は自刃した白虎隊池上新太郎の母で、新太郎の父与兵衛は後に住吉神社の宮司になり加波山事件で獄死した横山信六とは従兄弟にあたります
寺の話によると下関に眠る岩蔵の墓地から筒に土を入れて持参され埋葬したとお話を伺いました。
県立博物館の資料調査員と会津若松市文化財パトロール員のころは何度も巡回していましたが知らざることでまさに汗顔の至りです。
写真は、神戸兄弟の墓碑と八重筆の山本家の碑
(いずれも佐藤一男氏撮影)
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