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鳥羽伏見ミニ史跡めぐり

 投稿者:羽角  投稿日:2011年 6月 8日(水)22時10分51秒
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  6月4日(土)、鳥羽伏見ミニ史跡めぐりをやりました。
参加者は飯沼さん、正井さん、司太夫、私の4人。(昼食は桂さんも一緒でした)

廻ったコースは、安楽寿院→城南宮→恋塚・浄禅寺→妙教寺→八番楳木戦場跡(千両松激戦地跡)。

最初の二つは、鳥羽伏見の戦い時、新政府軍の本営が置かれたところで、小枝橋から城南宮、安楽寿院周辺にわたって薩摩軍が布陣していたそうです。
いつも思うのですが、幕軍の歩兵は何故、弾込めせずに薩摩軍に近づいたのでしょう? 薩摩兵の銃撃は「想定外」だったのでしょうか?

浄禅寺は、鳥羽に2ヶ所ある「恋塚」寺の一つ(上鳥羽にあるほう)で、本堂には袈裟御前の本尊が祀られています。とても美しいご本尊でした。
飯沼貞雄がのこした歌に「袈裟御前」とタイトルが付けられた歌があり、その背景を探りたいとの飯沼さんの想いから、今回訪問することが叶いました。
現住職と前の住職に色々説明していただき、大変勉強になりました!

本当はこの後、悲願寺墓地などを廻る予定だったのですが、時間の都合で淀に行くことに。
司太夫と地下鉄・竹田駅で別れ、残る3人は丹波橋駅乗換えで淀へ。
京阪電車の淀駅から真直ぐ、妙教寺に向かいました。

妙教寺の境内には、榎本武揚筆「戊辰之役東軍戦死者之碑」が建っています。
鳥羽伏見の戦いでは、この辺り(富ノ森、納所、淀)の街道沿いでも激戦が繰り広げられ、本堂に残る砲弾が貫通した柱や、当時の住職が残された貴重な資料(貫通した柱を歴史の証人として残すことと、東軍戦死者の供養と墓参を代々続けることを弟子宛に書き残されたもの)を見せていただき、色々興味深いお話を拝聴しました。

因みに、妙教寺のある場所は、淀古城(淀殿が住んでいた淀城)跡の一画だそうです。今ある城跡は江戸時代の淀城で、享保年間から幕末まで稲葉氏が藩主でした。古地図で見ると、水上の城下町だったようです。

妙教寺で長居した為、あと1ヶ所しか廻れそうにないので、八番楳木戦場跡(千両松)を選択。その途中、納所会館前に移された「戊辰役戦場跡」碑をチェック。←元々、愛宕茶屋跡(鳥羽街道沿い)にあったものです
八番楳木戦場跡の「戊辰役東軍戦死者埋骨地」(慰霊碑)は、京都競馬場の駐車場横にあります。

鳥羽伏見関連の史跡は他にも沢山あるので、京都支部で秋にあらためて史跡めぐりを計画中です。


写真は、浄禅寺、「戊辰之役東軍戦死者之碑」(妙教寺)、八番楳木戦場跡の碑

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