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長崎史跡めぐり(10月17日)

 投稿者:飯沼貞吉  投稿日:2010年10月30日(土)18時32分13秒
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  前日の長崎歴史文化博物館での講演を終えて、長崎湾の夜景を
見ながら前夜祭でリラックスした翌日は、工藤支部長の案内で
長崎史跡巡りに出かけました。
長崎の見所は沢山ありますが、この日は会津と関係の深い人物
の墓など、「知る人ぞ知る」の秘境探索といった内容でした。

足立仁十郎(にじゅうろう)は幕末の長崎商人で、会津特産の
高麗人参の輸出を一手に引き受けた任侠商人とも言うべき人物
でした。清の始皇帝が不老長寿の薬として、捜し求めたのは朝鮮原産
の高麗人参だったといわれます。
徳川幕府はこの高麗人参の国内栽培を3藩のみに限定して許可し、
会津藩は「御薬園」でその大規模栽培法を開発し、会津特産品と
して販売したのです。高価な高麗人参の主な顧客は中国でした。
そこで、足立仁十郎が活躍し、高麗人参は会津藩の財政を支える
ドル箱商品に成長しました。会津藩はこの足立の功績を認め、
700石に待遇したといわれます。
ところが、会津藩の敗戦とともに足立は没落し、晩年は悲惨な
生活を余儀なくされたといいます。

会津出身の西郷四郎は講道館四天王の一人として、その得意技
「山嵐」で有名ですが、明治17年に西郷頼母の養子となりました。
頼母は大東流合気道の免許皆伝をもち、武田惣角に技を伝授し、
四郎はこの影響を受けて「山嵐」の技を身につけたと言われています。
四郎は明治23年に講道館を去り、大陸に渡り、その後20年間長崎
に住んで、「日の出新聞」の副社長として活躍しています。
なお、晩年は尾道に居を移し、大正11年57歳で生涯を閉じました。
飯沼貞吉と西郷四郎とは義理の従兄妹の関係になります。

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