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小倉訪問(10/18~10/19)

 投稿者:飯沼貞吉  投稿日:2010年10月30日(土)13時17分10秒
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  小倉地方は豊津藩小笠原氏の小倉城、会津藩家老で戦争責任をとって
切腹した萱野権兵衛の長男郡長正が切腹した豊津育徳館、白虎隊士山川健次郎
が安川敬一郎の要請に応じて創立した明治専門学校(現九州工業大学)など
会津と深いところである。
今般、健次郎顕彰会の創立に携わった山内経則氏の案内で上記の史跡を
訪ねた。
小笠原長時(1534~1583)は武田信玄との戦いで流転し、
会津に逃れ、会津で没した。墓は会津若松の大龍寺にある。
また、小笠原秀政(11589~1615)は徳川家康の孫福姫を娶り、
その子忠眞は初代小倉藩主となったが、福姫は会津藩中興の祖保科正之の
従兄妹に当たる。会津藩は礼式には小笠原流を取り入れたが、こうした
背景がある。
高杉晋作によって滅ぼされた小倉藩は戊辰戦争では新政府軍の一員として、
参戦するが、猪苗代で謹慎していた白虎隊士を江戸に護送したのは小倉藩で
ある。敗戦後の会津藩が若者の教育を受け入れてもらえる留学先として、
小倉の育徳館に白羽の矢を立て、7人を送り出した理由もこうした会津と
小倉の交流を考えると頷ける。
しかし、留学した郡長正は14歳の命を、切腹という形で絶った。
その理由は、なんであろうか?
「食事がまずいことを母に向けた手紙にしたためた」という小説があるが、
「そんなことはありえない」とつくづく感じるのでした。
小倉では、現地の会津関係者とも懇親を深める機会を得て、とても有意義な
旅でした。関係者に御礼申し上げます。

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