teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. futarigo 大坪大展(4)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


(無題)

 投稿者:rt  投稿日:2010年 3月19日(金)13時07分44秒
返信・引用
  khghyuj  
 

(無題)

 投稿者:rt  投稿日:2010年 3月16日(火)13時51分11秒
返信・引用
  人生においては、誠心誠意を尽くして人に当たる。
さもなければ生涯を実りに満ちたものにできない。
この世は、不信・嫉妬・裏切・怒り・欲など、人への「義」を濁らせる要素には事欠かない。
人の気持ち、すなわち「人気(じんき)」を得るためには、苦しくとも筋や「仁義」を通さなければならない。
表面上の人当たりや理屈ではない。人の生きる道理・心構えである。
そう、人間は詰まるところ「心」と「心」だ。
「人」を蔑ろにして「豊かな人生」も「成功」もない。人生とは「人」がすべてである。
「人」との繋がりなくして、何を以って「人が生きた」と言えるだろうか。
借りは返さなければならない。必ず。良くも悪くも。
貸しは返してもらわない方が良い。自分が死んだときに、何人の人間が自分に貸しを返し損ねたことを嘆くのか。それが生きた証だからだ。
それでも「人」に借りばかり作る。それが人生なのだとも知る。
恩や義理を受けながら、自らの大義を果たす。そこで多くの「人のありがたみ」を知る。
そして「徳」を積むことは「心」の修練。出来ることならば「大徳」を積みたい。
いかに能力者であろうとも、人の繋がりを欠いては「心」は磨けない。
いかな大人物であろうとも、人に背を向けては大成はない。
誰も独りで生きている訳ではない。人の繋がりの連鎖の中で生きている。
「人気」を得ねば、人生はつまらない。
決して容易に量ることの出来ない人の「心」の機微を、果たして今まで「心」を徒に燻らせてきた未熟な自分には、捉え、「心」を育むことが出来るのだろうか。
人が一人生きる。人生は脆い。意味などない。
ただ、人々が生きると「心」が触れ合う。
人が生きると書いて「人生」である。
人が生きることは儚いが、「人生」は、己の「生」が「心」と共にここに在り、その「心」が確かな「生」への実感を己に与えてくれているという事を教えてくれる。

なぜか、私の周囲を取り囲む友人・知人たちは凄い。
皆それぞれ、多くの悩みや弱さを抱えながら「成功」の意味を知っている。
人生を乗りこなし、多くを手に入れている。しかし、転ぶ事の辛さも、失う事の意味も十分知っている。
会う度に喚起され、促され、素敵な刺激を受ける。
その刺激が、私の財産である。
「お前、華々しい人脈が好きだもんな」と心無いことを言われた事がある。
顔には出さなかったが、激しい怒りと悲しみを感じた。
自分がもしかしたらそういうだけの人間なのかと疑ってみたりもした。
ならば、僕の友人・知人たちに会ってほしい。
私が彼・彼女らの事が純粋に好きで付き合っているという事を示す事が出来る上に、彼・彼女らがいかに魅力的な素晴らしい人物であるかが判るだろうから。
人を付加価値で判断するのは無礼だ。だが、失礼にも私はよく人の付加価値を茶化し、その人の軌跡を面白おかしく装飾して語る。
それは失礼だが無礼な意味合いはない。むしろ敬意ですらある。そこを落としてもその人間がいかに魅力的か語るだけの術と論拠があり、その垢を落とした素のその人物が純粋に好きだからである。付加価値もまた、その人を表す指標となるものであり、魅力のひとつともなるのだが、短絡的なものでしかない。それよりもっと魅力的な部分で人をみるといい。不躾にも、私はよく垢落しをしてしまう。傷ついてる人、ごめんなさい。
概して、そういう魅力や能力・知力に溢れた友人・知人たちは、当然の事ながら、自ずと付加価値も手に入れてしまっていて、一時的に失ったり傷つき倒れても、圧倒的なバイタリティと持ち前の能力で、人生を実り豊かなものにしてしまう。
だから私は、自分の好きな仲間たちは必ず「成功」するものと信じている。
私の好きな友人・知人たちが優れた素敵な人間たちであって、
「成功」を手に入れようと向上、もしくは大きな「成功」を手にしてしまっているのは必然なのである。
確かに、一見すると軽薄なノリだけの付き合いもあるかもしれない。関係性が複雑だったり、一時的な迷いもあるかもしれない。だが、私が魅力的だと感じる奴等は、私が好きで好きでたまらない仲間たちは、優れた感性と素晴らしい能力をもっていて、私の人生を実多いものにしてくれている。
多くの人が勘違いしがちだが、「成功」とは数値ではない。ベタに「ユダヤ人大富豪の教え」ではないが、いわゆる「成功者」、つまり精神的に豊かな生活を営んでいる人と接する事は、人生の意味や処世の仕方を学べるという事であり、自らの感性や意識を磨ける「財産」なのだ。
ちなみに、僕の大好きな先輩は日雇い労働をして、風呂なし一間に住んでいる。だが、会うたびに彼の心が無限大に豊かであることに気付かされる。
「成功」とは「心」の修練の過程であり、結果ではない。
あんまり褒めすぎると調子に乗る小者ばかりなのでこの辺で友人の話はやめる笑。
 

他山の石

 投稿者:大坪大展  投稿日:2010年 3月15日(月)12時49分51秒
返信・引用
  futarigo 大坪大展

人生においては、誠心誠意を尽くして人に当たる。
さもなければ生涯を実りに満ちたものにできない。
この世は、不信・嫉妬・裏切・怒り・欲など、人への「義」を濁らせる要素には事欠かない。
人の気持ち、すなわち「人気(じんき)」を得るためには、苦しくとも筋や「仁義」を通さなければならない。
表面上の人当たりや理屈ではない。人の生きる道理・心構えである。
そう、人間は詰まるところ「心」と「心」だ。
「人」を蔑ろにして「豊かな人生」も「成功」もない。人生とは「人」がすべてである。
「人」との繋がりなくして、何を以って「人が生きた」と言えるだろうか。
借りは返さなければならない。必ず。良くも悪くも。
貸しは返してもらわない方が良い。自分が死んだときに、何人の人間が自分に貸しを返し損ねたことを嘆くのか。それが生きた証だからだ。
それでも「人」に借りばかり作る。それが人生なのだとも知る。
恩や義理を受けながら、自らの大義を果たす。そこで多くの「人のありがたみ」を知る。
そして「徳」を積むことは「心」の修練。出来ることならば「大徳」を積みたい。
いかに能力者であろうとも、人の繋がりを欠いては「心」は磨けない。
いかな大人物であろうとも、人に背を向けては大成はない。
誰も独りで生きている訳ではない。人の繋がりの連鎖の中で生きている。
「人気」を得ねば、人生はつまらない。
決して容易に量ることの出来ない人の「心」の機微を、果たして今まで「心」を徒に燻らせてきた未熟な自分には、捉え、「心」を育むことが出来るのだろうか。
人が一人生きる。人生は脆い。意味などない。
ただ、人々が生きると「心」が触れ合う。
人が生きると書いて「人生」である。
人が生きることは儚いが、「人生」は、己の「生」が「心」と共にここに在り、その「心」が確かな「生」への実感を己に与えてくれているという事を教えてくれる。

なぜか、私の周囲を取り囲む友人・知人たちは凄い。
皆それぞれ、多くの悩みや弱さを抱えながら「成功」の意味を知っている。
人生を乗りこなし、多くを手に入れている。しかし、転ぶ事の辛さも、失う事の意味も十分知っている。
会う度に喚起され、促され、素敵な刺激を受ける。
その刺激が、私の財産である。
「お前、華々しい人脈が好きだもんな」と心無いことを言われた事がある。
顔には出さなかったが、激しい怒りと悲しみを感じた。
自分がもしかしたらそういうだけの人間なのかと疑ってみたりもした。
ならば、僕の友人・知人たちに会ってほしい。
私が彼・彼女らの事が純粋に好きで付き合っているという事を示す事が出来る上に、彼・彼女らがいかに魅力的な素晴らしい人物であるかが判るだろうから。
人を付加価値で判断するのは無礼だ。だが、失礼にも私はよく人の付加価値を茶化し、その人の軌跡を面白おかしく装飾して語る。
それは失礼だが無礼な意味合いはない。むしろ敬意ですらある。そこを落としてもその人間がいかに魅力的か語るだけの術と論拠があり、その垢を落とした素のその人物が純粋に好きだからである。付加価値もまた、その人を表す指標となるものであり、魅力のひとつともなるのだが、短絡的なものでしかない。それよりもっと魅力的な部分で人をみるといい。不躾にも、私はよく垢落しをしてしまう。傷ついてる人、ごめんなさい。
概して、そういう魅力や能力・知力に溢れた友人・知人たちは、当然の事ながら、自ずと付加価値も手に入れてしまっていて、一時的に失ったり傷つき倒れても、圧倒的なバイタリティと持ち前の能力で、人生を実り豊かなものにしてしまう。
だから私は、自分の好きな仲間たちは必ず「成功」するものと信じている。
私の好きな友人・知人たちが優れた素敵な人間たちであって、
「成功」を手に入れようと向上、もしくは大きな「成功」を手にしてしまっているのは必然なのである。
確かに、一見すると軽薄なノリだけの付き合いもあるかもしれない。関係性が複雑だったり、一時的な迷いもあるかもしれない。だが、私が魅力的だと感じる奴等は、私が好きで好きでたまらない仲間たちは、優れた感性と素晴らしい能力をもっていて、私の人生を実多いものにしてくれている。
多くの人が勘違いしがちだが、「成功」とは数値ではない。ベタに「ユダヤ人大富豪の教え」ではないが、いわゆる「成功者」、つまり精神的に豊かな生活を営んでいる人と接する事は、人生の意味や処世の仕方を学べるという事であり、自らの感性や意識を磨ける「財産」なのだ。
ちなみに、僕の大好きな先輩は日雇い労働をして、風呂なし一間に住んでいる。だが、会うたびに彼の心が無限大に豊かであることに気付かされる。
「成功」とは「心」の修練の過程であり、結果ではない。
あんまり褒めすぎると調子に乗る小者ばかりなのでこの辺で友人の話はやめる笑。

futarigo 大坪大展
 

teacup.掲示板 START!

 投稿者:teacup.運営  投稿日:2010年 3月15日(月)12時44分53秒
返信・引用
  掲示板が完成しました!
掲示板のデザイン変更や記事の削除などは管理者メニュー(管理画面)から行えます。
また、ケータイでは50種類以上のデザインテンプレートが選べますので、ぜひケータイからのご利用もお試しください。(※ケータイ版も同じURLでご利用になれます!)

teacup.の掲示板はお一人様いくつでもご利用になれますので、用途に合わせて掲示板を作成して下さい。※この記事を削除してご利用下さい。
【記事の削除方法】
・掲示板下部の管理者メニュー(管理画面)からログイン
・左メニューより「投稿の管理」をクリック
・削除したい記事にチェックを入れ「削除」をクリック

http://www.teacup.com/

 

レンタル掲示板
/1